いつもと変わらない日々の有難さ…

 9月6日未明に発生した地震から1週間が経過し、未だ余震が続き、電力の供給不足による国からの節電要請や、物流が滞ったことにより食材等の商品が品薄状態になる等々、安心できる生活を取り戻すにはまだ時間を要する状態です。今回の「胆振東部地震」による影響で亡くなられた方々にご冥福をお祈りするとともに、一日でも早い回復、復旧を心より願っております…。

 幼稚園は7日の20時過ぎに停電から復旧し、各ご家庭の被災状況並びに子ども達の健康状態等の確認をはじめ、園舎内外の安全点検をしたり、バスルートの道路状況等を確認し、11日より登園を再開しております。

 再開した初日、地震による影響等で、不安定な様子を見せる子どもがいないか等々、生活や遊びの様子を注意深く見ておりましたが、殆どの子ども達の表情はいつもと変わらず、信頼を寄せる「先生」や「友達」と一緒に遊びを楽しみ、私の目には安定した心持ちで園生活を送っているように感じることができた一日でした。その中でも数名ではありますが、涙を流しながら登園してくる子や、登園を渋る子もおり、地震が全ての理由かどうかはわかりませんが、何かしら不安な気持ちになっている子もいることを改めて実感し、保育者として温かくやわらかな心持ちで接し、遊びを通して楽しい時間を過ごすことで“安心感”のある園生活送ることができるよう、教職員全員で支えていくことを確認いたしました。

 この度のような震災があった後に、子ども達の「明るい笑顔」「元気なパワー」を直接肌で感じることができる私達の保育の仕事は、改めて幸せな仕事であることを実感しているところです。それと同時に“今”を生きている“未来志向”の子ども達に私達大人は助けられている気がします…。子ども達が遊びに熱中している姿を見ると、“いつもと変わらない穏やかで緩やかなひと時”として時間が流れているように感じ、震災があったことを忘れさせてくれる程、何とも言えない朗らかな気持ちにさえなります。一方で、年長の女の子同士で、「地震がきて私の大事なものが倒れちゃったの…」「私の家も…」等々、この度の地震について話をしている様子もあり、幼いながら記憶として残り、現実の世界を受け入れ、それでも前向きに生きようとしているように私には感じました。年齢や性格・気質によっても震災の受け取り方や感じ方は当然異なり、大人である私達でさえ様々な捉え方があることと思います。ただ一つ言えることは、私達大人の感情は子どもに対して理屈ではなく、共に時間を過ごす中で敏感に伝わっていきますので、不安を煽る態度や行動を避け、安心感の中で明るく前向きに生活を楽しむことができるよう支えていくことが大切な気がします。とは言っても、大人が頑張りすぎず、心に余裕を持つことが大切です。大人のイライラや不安は直ぐに子どもに伝染します。私達自身が生活にゆとりを持ち、子ども達と共に前向きな気持ちで過ごし、困った時には互いに助け合い、いつもと変わらない日々に感謝しながら子ども達との時間を大切にしていきたいものです…。


運動会が近づくと…

今週末の運動会に向けて園内も運動会モードの雰囲気が漂ってきました。

子ども達は運動会当日行う競技を、クラスや学年毎に楽しみながら経験を積み重ねてきています。

 

運動会で行う競技は、必ずしもクラスや学年毎のみんなで活動する時間だけに楽しむものではありません。

 

日々の生活場面や自由に遊ぶ時間の中でも、運動会の競技を思い出しながら”遊び”として自分達なりに再現したり、アレンジしながら楽しむ姿も見られます。

 

【自由に遊ぶ時間の中で自分達で「リレー遊び」や「騎馬戦(帽子を取り合う遊び)」を楽しむ姿】

 

 

このように運動会の競技は、教師(大人)から一方的に経験を重ねるための”練習”としてやらせるのではなく、あくまで「体を動かすことを楽しむ」「友達と力を合わせることに喜びを感じる」等をねらいとした”遊び(活動)”として楽しむことで、充実感や満足感を味わっていきます。

 

 

【運動会当日に使う「応援グッツ」を作ったり、実際に使ったりして楽しんでいる姿】

 

 

運動会の活動がきっかけとなり、日々の遊びや生活が充実したり、今まで以上に自己発揮できるようになったり…と、子ども達の成長は計り知れません。

私達は「主体的に生きる子ども」を育てるために、子どもの成長の通過点として運動会の活動を捉え、園生活を支えていきたいものです…。

 


自分らしい”こだわり”と人と共に”生きる力”

今回は卒園の時期が近づく年長児のエピソードの紹介です。

 

年長児のクラスを覗くと、卒園する記念に「幼稚園へのプレゼントを作る」という活動をしていました。

「自分達の園生活の歩みを形にして残したい!」という意見から、年長児として過ごした1年間をアルバムとして作成することになったそうです。

 

この日はグループ毎にアルバムの台紙を作り、その後台紙に写真を貼るところまで進める計画でした。

 

そんな中、1つのグループのやり取りを聞いていると、次のような会話が聞こえてきました。

 

 

Sちゃん「写真を斜めに貼るといいんじゃない?」

 

Yくん「どうして?」

 

Sちゃん「だって斜めの方がオシャレでしょ!」

 

Yくん「でも…斜めにしたら見づらいよ。」

 

Sちゃん「…。でも、斜めの方が素敵だよ!」

 

Yくん「斜めは見づらいよ…。」

 

Sちゃん「お願い!斜めにしよう!」

 

Yくん「でも…見づらいから…。」

 

 

このようなやり取りをしていて、中々意見がまとまりません。

 

二人の表情からは「どうしよう…」と、困った感じです。

 

グループ内の他の二人も、SちゃんとYくんのやり取りを見守るものの、解決の糸口が見つからない様子でした。

 

ついに困り果てたSちゃんが、私に「園長先生斜めがいいと思うけど、どうしたらいいと思う?」と尋ねてきました。

 

私は「たしかに、Sちゃんの言う通り”斜め”にするとオシャレで素敵だと思うよ。でも、Yくんの言う通り斜めよりも真っ直ぐの方が見やすいし…。だったら、ちょっとだけ”斜め”にしてみたら? あんまり”斜め”にし過ぎると見づらいから、ちょっとだけだったらどうかな??」

 

それを聞いたSちゃんが「Yくん、ちょっとだけ”斜め”でもいい?」と、優しい口調でお願いするように言うと…

Yくんは「ちょっとだけ”斜め”でいいよ…。」と、表情は若干不満そうではありますが、Sちゃんの意見を受け入れていました。

 

その後、私は一連の様子を振り返ってみましたが、果たして私のかけた言葉(援助)が良かったかどうか…。

と言うのも、結果として私の意見に決まってしまい、Yくんは本当にそれで良かったのか…?

 

私なりに、子ども達の世界に加入し過ぎないように見守りつつ、助けを求めてきたSちゃんに応えるために、二人の気持ちを十分に尊重した上で、自分なりの考えを伝えはしましたが…

 

このように「保育の援助の場面」においては、日々悩みが尽きません。

 

関わり方において「絶対にこれが正解」はありませんが、大切なことは子どもの「心の中」を覗き込むように内面を探ることだと思います。そして互いの思いをしっかりと受け止め、それぞれを「一人の思いや考えを持った人間として尊重する」ことを決して忘れてはいけません。

 

一方で”子どもの育ち”として今回のやり取りを見ると、年長児らしい確かな成長を感じることができます

 

それは、SちゃんにしてもYくんにしても「自分の思いや考え(意見)をしっかりと持って生きている」ことです。

 

更に、その自分の思いや考え(意見)を「自分の言葉で表現している」ことも、年長児の終わり頃までに育ってほしい姿です。

 

そして、それぞれの思いや考え(意見)が食い違い、「合意の形成ができない」「妥協点が見つからない」等々の様子が見られた時、身近の大人の力を借りながら意見の擦り合わせをし、100%の納得とはいかなくても、互いの思いを尊重し、みんなの意見としてまとめながら物事を前に進めていく力も育っているなぁ…と思い、私達の園で掲げている「育てていきたい子どもの姿」に近づいていることを、実感することができたエピソードでした。

 

※札幌ゆたか幼稚園では「自分らしく周囲の人と共に生きる喜びを見いだせるよう、子ども達一人ひとりの”心の根っこ”を支える」ことを、子どもの成長を支える”モットー”として掲げています。

 

自分の思いや考え(意見)を持ってしっかりと自己主張ができる「自分らしく生きる」ことは人として大切な力です。

でもそれだけでは他者からは「わがまま」と感じられ孤立してしまうことも…。

そこで、他者と共に生きる上で必要な「協調性・社会性」を身に付け、互いに「受け入れ」「受け入れられて」関係性を構築し、共通の目的やその達成のために協力し合い、喜びを分かち合うことも人として大切な力です。

 

社会の中で豊かに生きていく上で欠かすことができない「2つの生きる力」を、遊びや活動を通して乳幼児期から育むことが大切であり、その力を様々な場面においてバランス良く扱う力も、乳幼児期に上記のようなエピソードの場面を通して育んでいきたいものです。

 


おもちつき会

”おもちつき”は子ども達になりに、日本の伝統文化に触れる日です。

当園ではお正月が近づく12月頃に毎年行っています。

 

先ずは「このもち米を杵でつぶすとお餅になるんだよ!」と言いながら、子ども達に炊き上がったもち米を見せます。

子ども達は目を丸くしながらもち米をじぃ〜っと見つめていました。

 

”おやじの会”のおやじ達が力を込めて杵でもち米をつぶす姿に、子ども達から「ガンバレ〜!」と熱い声援が聞こえてきました。

 

いよいよ仕上げは子ども達の出番です!

 

杵を力いっぱい振り上げる姿は子どもながらに勇ましさが感じられます。

 

おやじ達による仕上げの仕上げでお餅の完成です。

 

満足気に完成したお餅を見る姿は、一回り大きくなった(成長した)ような気がしました。

 

最後にお餅を丸めてくれている母の会のお母さん方の姿を見ながら各クラスに帰っていきます。

 

このようにおもちつき会の一連の流れの中で


2歳児の心の中

今回は札幌ゆたか幼稚園の2歳児クラスの子どもの気持ちを、紐解いていきたいと思います。

 

そもそも「学年2歳児(年度中に3歳の誕生日を迎えるお子さん)」は、ようやく自分の気持ちを”つたない言葉”で表現できるようになる発達段階です。

しかも、言葉の発達は個人差もあります。

 

そんな2歳児の「言葉にならない(出せない)心の声」を、私なりの言葉でポエム風に表現してみました。

場面は朝の「登園風景」です。

 

 

ぼくの気持ち…(言葉にならない心の声)

 

僕は幼稚園に行くんだ!

でも、お母さんと離れるのはちょっと寂しい…。

いよいよ家を出て幼稚園に出発。

幼稚園の玄関にたどり着くと、なんだか急に全身に力が入り固くなる…。

目の前には信頼できる大好きな先生が僕を温かく見つめてくれる。

よし!外靴を脱いで自分の教室に向かおう!

でも、やっぱりお母さんとは離れるのは寂しい…。

いや、離れたくない!

それでも幼稚園は楽しいところなのは知っている。

自分のお気に入りの玩具はあるし、自分の居場所もある。

僕の気持ちを受け止めてくれる先生もいるし、一緒にいて楽しい気持ちにさせてくれる友達もいる。

どうしよう…。

とりあえずお母さんと一緒に教室まで向かうことに…。

教室に入って一通り準備が終わると、いよいよお母さんと離れる瞬間が訪れる…。

やっぱりお母さんとは離れるのはヤダ!

とりあえず玄関までお母さんと先生と一緒に行くことに…。

僕は知っている。

幼稚園の玄関はお母さんと離れる場所。

幼稚園の玄関はお母さんに「行ってきます!」を言う場所。

でも、今日は「行ってきます!」の気持ちが湧いてこない。

どうしよう…。(お母さんもどうしたら良いのか…複雑な気持ち…)

悲しい気持ち、不安な気持ちが抑えられず居ても立っても居られない。

僕の目から大粒の涙がこぼれ落ちる。

僕は「嫌だ〜!」と大きな声を出して抵抗してみる。

僕はダメなことを知っている…それでも…「お母さんと幼稚園にいたい!」

しかし願いは叶わず、ついに本当に離れる時が…。

お母さんも悲しそうで心配そうな顔で僕を見ている。

僕は大好きな先生に抱かれながら、泣きながらお母さんと離れることに…。

でも、僕は知っている。お母さんは必ず迎えに来てくれることを…。

それでもやっぱり悲しい気持ちは抑えられない…。

 

しばらくの間、包み込まれるように先生に抱かれながら心の中で葛藤している。

(“自立しようとしている心”と“依存したい心”が行ったり来たり…)

やがて、先生と一緒に安心・安定できる自分の居場所の教室に向かうことに…。

自分の教室の中で大好きな玩具で遊ぶと、徐々に気持ちが晴れていく。

僕はいつの間にか遊びに夢中に…自然と笑顔になってきた。

もう大丈夫!

幼稚園は僕の大好きな場所。

楽しい遊びに夢中になっていると時間はあっという間。

帰りは大好きなお母さんが迎えに来てくれるから…。

僕の顔には流した涙が一粒輝いていた…。

 

 

毎朝お母さんと一緒に歩いて登園してくる2歳児の、何とも言えない複雑な気持ちが伺えるのでは…と思います。

 

当たり前ではありますが、「お母さんは大好き」です。

 

一方で、入園して半年も経つ頃になると、幼稚園には「大好きな先生」がいること、「自分の好きな玩具(物や生き物等)」「自分の安心できる空間(教室)」があることが、2歳児なりに理解してきます。

(条件が整えば、子どもの心は徐々に安心・安定していきます。)

 

それでも頭の中は「大好きなお母さん」と「大好きな幼稚園」が入り混じり、自分の力だけでは整理ができません。

 

頭のどこかでわかっていても、現実を中々受け入れられない。

自分の力で気持ちを切り替えることが、中々難しい。

 

これは2歳児のみならず3歳児にも見られる姿であり、もっと言えば4歳児以降も場面によっては度々見られることと思います。

 

私達が大切にしたいことは、この時期の「言葉にならない(出せない)心の声」しっかりと受け止め、そして向き合い、丁寧に返していくことです。

 

子どもの気持ちを十分に理解した上で、子ども自身が自立に向けて成長できるような援助は何か…

このような成長過程の営みをゆったりとした時間の流れの中で、支えていきたいものです…。

 

 

 

 

 

 

お母さんと離れた後は、生き生きと晴れ晴れした表情で、自信を持って遊んでいた様子が見られました!


運動会がきっかけ…

運動会当日が近づくにつれ、運動会の競技を自分達なりにアレンジしながら遊ぶ姿が、園庭のあちらこちらで見られるようになりました。

特に年長児は「徒競走」や「クラス対抗全員リレー」の経験をきっかけに、遊びの時間(自分の好きな遊びを見つけて、友達や先生と一緒に楽しむ時間)の中で競走をしたりリレーを楽しむ等、運動会当日への期待はもちろんですが、単純にその場の「遊び」として純粋に楽しんでいる姿が微笑ましく思えました。

 

さて、そのような「遊び」の様子を具体的に紹介いたします…

 

競走をしたい子どもが集まってきたのか、あるいは最初は他の遊びを一緒にしていて、その後「競走をしよう!」とみんなで決めたのかわかりませんが、年長児数名が競走(かけっこ?)をしようとしていました。

 

ここで私が「面白い!」と感じたことは、一人ひとりのスタートライン変えていた点です。(ハンディをつけていたのです。)

 

何やら「○○君は走るのが早いから、ここね!」「僕はこの辺。」「○○君はもうちょっと後ろがいいんじゃない?」等々、今までの経験の中で互いの走る速さを把握し、自分達なりにスタート位置を調整しながら競走を楽しもうとしているのです。

(互いに思いや考えを伝え合いながら合意を形成し、自分達で決めたルールの中で遊びを楽しんでいるところが年長児らしい素敵な姿だと思いました。)

 

大人の私から見ると「○○君の方が早いからもう少し後ろの方か良いのでは…??」と思いましたが、そこは「子ども達の遊びの世界」なので、当然口出しはしません(笑)

 

そして、一人の子どもの「よーい、スタート!」の掛け声でスタートしました。

 

自分達で設定したゴールに近づいてきました。

 

走る表情からも、真剣且つ楽しそうな雰囲気が伝わってきます。

 

全員が走り終わり、それぞれの順位が確定します。

そして、余韻に浸る間もなく次の勝負が始まります。

 

すると…その様子を見ていた年中児が近くにやって来て、「いーれーて!」の一言。

特に言葉を交わすことなく、その年中児も何となく仲間入りし、次の勝負に加わりました。

(言葉はなくても目線や醸し出す雰囲気によって、「受け入れる」「受け入れられた」等の気持ちのやりとりを交わしているところも、「同じ幼稚園の仲間」として認め合っている気がして、微笑ましい気持ちになりました。)

 

<今回の「遊び」から学びや成長が感じられる点…>

・運動会当日に向けて日々クラスの皆で楽しんでいる競技(徒競走やリレー等)を、他の場面でも「自分達の遊び」として再現して楽しんでいる点

・仲間の特性を互いに把握し理解している点

・どうやったら競走がより楽しくなるのか、思考を巡らしてアイディアを出し合い、楽しんでいる点

・年下の子どもを拒むことなく仲間として受け入れる雰囲気を作っている点

 

 


子どもが発した言葉の本当の意味…

 

先日、毎年子ども達が楽しみにしているクリスマス会を行いました。

子ども達にとってクリスマス会は特別な行事の一つであり、先生方も「毎年行っている行事だから例年通り」ではなく、その年毎に子ども達が心から楽しめるような会となるよう計画を立て、準備をし当日を迎えます。

 

今年は先生方によるクリスマスソングの演奏を行い、またフォークダンスをして楽しみました。(もちろんサンタクロースも登場しました!)

 

そのような楽しい一時に起きたある一場面から、「子どもの気持ちに寄り添う」「子どもの行為を考える」「子どもが発した言葉の真意を考える」等々、一人ひとりの子どもを理解することについて私なりの考えを述べてみたいと思います。

 

クリスマス会が始まる時、何だか落ち着かない一人の年長児の女の子の様子がありました。

(クリスマス会に参加したくないと言い、一人で教室にいると言ってみたり、教室から椅子を持ってきて自分だけ椅子に座りたいと言ったり…等々、何か理由をつけて担任に訴えている様子…。)

 

その女の子は普段は積極的な一面があり、相手の事を考えて行動できる優しさや思いやりの気持ちがある、感性豊かな年長児です。

私からみても友達と一緒に色々な遊びを楽しみ、充実した園生活を過ごしている印象で、いつも笑顔が絶えない素敵な女の子です。

 

私はあまり見たことのないその子の行動に少し驚きながらも、遠くから注意深く見守っていると、担任との話し合いの末、何とかクリスマス会に参加することになり、担任の隣で座っている姿が目に入ってきました。

 

クリスマス会は進み、担任の隣で時々甘える仕草を見せることもありますが、担任を拠り所にしながら何とか参加し続けている様子です。

 

しかし、次の瞬間担任がクリスマスソングを演奏するためにステージに上がると、今まで拠り所にしていた一本の糸が切れたかのように、急に姿勢が崩れ、床に寝そべろうとしたりする姿が目に入ってきました。

そして極めつけに、演奏をしている担任に向かって「下手くそ!」と、一言罵声を発したのです。

 

さすがに近くにいた他の先生から、「その言葉はないんじゃない?」「○○先生は一生懸命演奏しているのに可哀そうだよ…。」と言われていましたが、その言葉を耳に入れる様子はありませんでした。

 

さて、このようなクリスマス会で見られた場面は、日々の保育場面においても目にすることもあります。

 

ここで考えてみたいことは、担任にあの手この手で訴える言動や女の子が発した「下手くそ!」の言葉の真意です。

はたして女の子は担任に本当にそのような言葉を言いたかったのでしょうか?(思ったのでしょうか?)

あるいは、担任を困らせたかったのでしょうか…?

 

ちなみに、その後の様子は…教室内でも落ち着かない様子が見られましたが、降園時には少し穏やかな表情で担任と会話を交わし、ほとんどいつもと変わらない姿で降園していきました。

 

私達は一人ひとりの子どもの様子を一日の流れの中で捉えているため、ある一場面の言葉や行動だけを切り取って、子どものことを理解しようとしているわけではありません。

”直前までの様子””前日の様子”、あるいは”ここ最近の様子”から子どもの言動を理解しようと試みます。

 

更には今後育ってほしい姿を思い描きながら、かける言葉を選んだりタイミングを見計らったりしながらその子の成長や幸せを願い、その子に関わろうとします。

 

それでも、「かける言葉が違った…」「タイミングが今ではなかった…」等々の思いに陥ることもあり、一人ひとりの気持ちに寄り添うことの難しさを痛感することは少なくありません。

 

そのようなことから、今回の女の子の気持ちを考えてみると…

「下手くそ!」と言いたかったのではなく、担任が傍から離れたことが嫌で、その気持ちを「下手くそ!」と言う言葉で表現しただけではないでしょうか…。

あるいは、「その子の言葉の裏に隠された気持ちの表現」と捉えることもできると思います。

 

子どもの言動だけ捉えれば、「悪いことを言う子ども」と捉えてしまいがちですが、そのようなことを本気で言いたいと思う子ども(特に幼児)はおそらくいないと思います。

 

そのため、私達は言葉や行動だけを取り上げて評価をするのではなく、先ずはその時の「心情面(目に見えない心の動き)」を捉え、その子の気持ちに本気で寄り添おうとすることを決して怠ってはいけないと感じた場面であり、保育をしていく上での基本的な姿勢として肝に銘じる必要があると感じた出来事でした。

 

 

ちなみに…後から担任とその子について話をすると、最近下の子が産まれて落ち着きのない様子がしばし見られることがあるようです。

 

子ども(特に幼児)はちょっとしたことで心が不安定になることがあります。

私達大人でさえも何か嫌なことがあったりすると気持ちが落ち込んだりして、言動に微妙な変化が生じることもあります。

 

それが子ども(幼児)であればあるほど、負の気持ちが積み重なると大人以上に言動に現れるのは当然のことと言えます。

 

一人ひとりの子どもの傍らに身を寄せ、温かい眼差しで気持ちを寄せながら、その子のことを深く理解しようとすることが、私達大人が保育(子育て)の営みにおいて大切にしなければならないことと言えるでしょう…。


挑戦 〜自ら心を揺れ動かす体験〜

子ども達の”遊び”の様子を見ていると「遊びの種類」「遊び方」は色々あり、一人ひとりが充実感を持って楽しんでいる姿は微笑ましい限りです。

 

そのような”遊び”の中でも「挑戦」する”遊び”に注目して見ると、”遊びを通して育つ力”が沢山あります。

 

一つ目の”遊び”は、ロープを使いながら三角形の遊具の頂上まで登る”遊び”です。

 

この”遊び”からは手の力と足の力を使いながら全身でバランスをとり、頂上を目指して上り方を工夫する等々…、挑戦しようとする「意欲」が感じられます。

 

当然、体の発達を促す”遊び”の一つではありますが、同時に「頂上まで自分の力で登ってみたい!」という気持ちが、「目標に向かって粘り強く取り組む姿勢」「試行錯誤しながら工夫しようとする姿勢」等の心情面を育むことにも繋がります。

 

二つ目の”遊び”は、「木登り」と「上り棒」です。

この”遊び”も基本的には先程の”遊び”と同様で、「運動面の発達」「心情面の育ち」の両面が垣間見られる”遊び”です。

 

力の入った”手足”や真剣な”表情”からは、「自分の力で登りたい!」という”心の動き”が感じられます。

 

 

そして、登り切った表情は「達成感」「満足感」「充実感」に満ち溢れています。

 

「上り棒」も同様です。

 

 

一人が登ればその様子を見ていた他の子の心が動き、刺激を受け、「僕も!」「私も!」と次々に挑戦する姿が見られます。

 

 

そこには異年齢のかかわりも見られ、憧れの眼差しが「自分も…」という意欲に繋がり、新たな自分を見つけるきっかけにもなります。

 

三つ目の”遊び”は「砂遊び」です。

当園には「砂場」はありますが、「砂遊び」は必ずしも「砂場」で行われているとは限りません。

 

当園の園庭は基本的に一面が砂地なので、あちらこちらで色々な「砂遊び」をしている様子が見られます。

 

その中でも下記の”遊びは「砂場」に水を流し、水路(川)を作って遊んでいる様子です。

 

 

この”遊び”も捉え方によっては「挑戦」する遊びと言えるでしょう。

自分が思い描いているイメージ通りに完成するよう、スコップを使って水路(川)作りに挑戦しています。

 

この時の心の動きは…「想像力」「創造力」「思考力」を巡らせ、イメージ通りに完成させるために「工夫」し、小さな失敗と成功を繰り返した結果として、大きな「達成感」「満足感」「充実感」が得られると思います。

 

次は「泥だんご作り」です。

 

 

泥だんご作りは長い時間をかけて「挑戦」する遊びの一つです。

ピカピカでツルツルな綺麗な泥だんごを作るためにはいくつかの工程があります。

 

砂に水分を含ませて泥を作ります。

泥を手のひらに載せ、丸くなるように「ぎゅっ!」と力加減を調節しながら固めます。

 丸くなった泥だんごに、乾いたサラサラの砂を転がしながらかけていきます。

 (サラサラの砂を集めるために、上記の写真のような道具等を使って集めている子もいます。)

↓の工程を繰り返し行います。

最後は手のひらで磨きながら、ピカピカ・ツルツルにしていきます。

 

上記の工程の結果は…下記のような「世界で一つだけのオリジナル泥だんご」が完成します。

 

 

このように、泥だんご作りは20分から30分、長い時は40分位集中して「挑戦」しています。

 

泥だんご作りは…「試行錯誤しながら粘り強く挑戦する」気持ちや考える力を育み、結果として「集中力」が身に付く素敵な遊びの一つです。

(正直、やりたくもないのに大人から一方的にやらされたドリル等に取り組むより、自分から「やってみたい!」と心が動き、自分のイメージした泥だんごを完成させたいという強い思いで長い時間取り組んでいる”遊び”の方が、本人自身の力になり、今後の人生の中で粘り強く物事に取り組む姿勢の基礎になるはずです…。)

 

 

また、「作った泥だんごを大切にとっておきたい!」「明日も続きをしたい!」等の気持ちに応えるために「泥だんご置き場」を用意し、牛乳パックの箱に自分の名前を書き、保管しておきます。

 

このような取り組みは、「物事に継続して取り組む力」「物を大切にする気持ち」等を育むことにもなります。

 

 

さらに、園内に「泥だんご名人」の写真を掲示しておくことで、他の子が関心を寄せたり、興味を持ったり、また、一度作ったことがある子にとっては、再度挑戦したくなるきっかけにもなります。

 

 

 

このように、「挑戦する遊び」には様々な「学びの要素」があり、人間として生きていく上で必要な「生きる力」が自然と育まれます。

 

私達の園では、自ら「やってみたい!(挑戦したい)」と思える”遊び”の環境を整えその”遊び”にじっくりと取り組むことができる時間を確保し子ども達の”遊び”が発展し深まるための適切な援助を大切にしていきたいと思っています。

 

子ども達の将来のために、目の前の”遊び”に熱中できるような温かな雰囲気を心掛けていきたいと思う今日この頃です。

 


3歳児(年少)のごっこ遊び

ある日の朝、自由活動の様子を見ていると、ホッとする微笑ましい「ごっこ遊び」に出会うことができました!

 

園庭の「テーブル」「ベンチ」「ままごとキッチン(遊具)」が置かれているちょっとした空間に、年少児(3歳児)が数人集まり、それぞれの子ども達がイメージを描きながら思い思いに遊びを楽しんでいます。

 

決して明確な役割が決まっているわけではありませんが、聞こえてくる会話からは…「お父さん!はいどうぞ!」「お母さん何ですか?」「私、お姉ちゃんだよね?」「これ、ワカメご飯だよ!」「カレーだよ!」「コショウとかないかな?」「じゃあ、いっぱいいれたよ!」等々、様々な声が飛び交っています。

 

そのような会話と目に入って来る光景からは、どうやら「家族ごっこ遊び?」をしているように見えました。

 

下記の写真は「ワカメご飯」を作っているつもりの子どもと、その様子を見ながら「カレー」と、表現する子どもの様子です。

そのような会話を交わしながらも、それぞれの子どもが別々の遊びをしているようにも見えます。

 

一人ひとりのイメージも異なり、同じ空間にいながらも作っているものをはじめ、やりたい遊びは様々であり、何となく一緒にいる雰囲気を感じました。

すると…、気づいたら1人、2人とその場からいなくなり、3人がそれぞれの遊びを続けていました。                                                                                                     

しばらくすると、さっきまで遊んでいた子どもが砂を持って戻ってきたり、「いーれーて!」と言って新しい子どもが加わったり…と、「家族ごっこ遊び?」はどんどん変化していきます。

「ヘラを使ってご飯(ワカメご飯?カレー?)を作っている子ども」「そこにサラサラの砂(コショウ?)を入れる子ども」「隣で黙々と砂(おかず?)を混ぜている子ども」「鍋で何かを作っている子ども」等々、ごっこ遊びが目まぐるしく展開し、それぞれの描いているイメージに近づけようとする姿が見られました。

このように、突然その場からいなくなったり、戻ってきたり、新しい子どもが遊びに加わったりする「家族ごっこ遊び?」が、およそ20分程続いていました。

このような一連の遊びを見ながら「子どもの育ち」について考えてみると、入園から3ヶ月程の年少児にとっては、ゆるやかな時間の流れの中で自分のやりたい遊びに夢中になり、その過程(プロセス)で友達とのやりとり(まだまだコミュニケーションは一方通行が多いですが…)を楽しむことが、1人ひとりの達成感や満足感に繋がり、友達関係を豊かにするきっかけにもなるでしょう。

 

ここで大切なことは、私(大人)の目には「家族ごっこ遊び」に見えましたが、考えてみると子ども達からは「家族ごっこ遊びをやろう!」や「家族ごっこ遊びをやる人…?」等々の声があったわけではなく、「テーブル」「ベンチ」「ままごとキッチン」が置かれている空間の中で何となく自然発生した「名もない遊び」だったことを理解することだと思います。

 

そのような遊びには当然「始まり」があるわけでもなく、「終わり」があるわけでもありません…。

途中から入って来る子どももいれば、何も言わずに違う遊びをするために場所を離れる子どももいます。

あるいは、いつの間にかその空間にいる子どももいます。

 

遊びの”始まり”や”終わり”が存在しなくても、はたまた”目的”や”イメージ”が違っても、何となく一緒の遊びを共有できる年齢が年少児(3歳児)の自然な姿だと思います。そのような経験を重ねていくと、自分達で確認し合いながら遊びが始まったり、互いにイメージを共有し合いながら協力して遊びを展開したり、最後は互いに納得して遊びを終息させたりする年長児(5歳児)の姿に成長していくことでしょう。

 

この度の遊びの場面は、子ども達が遊びたくなるような物的環境(テーブル、ベンチ、キッチン、砂遊びの道具等々)があり、その場を共有する同じクラスの友達が互いの心を安定させ、十分に遊び込める時間が確保されているからこそ生まれた遊びの場面です。

 

私達は保育のプロとして、そのような遊びが生まれるような「しかけ(環境)」の工夫を常に考え、子どもが主体性を発揮しながら遊び込める援助を心掛けたいものです。

 


固定遊具の果たす役割

近年、市内の公園の様子を見ていると、次々と年代物の固定遊具が姿を消している気がします…。
また、新しく整備された公園の固定遊具を見ると、安全基準を満たした危険度の少ない固定遊具が目につき、昔ながらの「箱型ブランコ」「ジャングルジム」「シーソー」は、ほとんどと言っていいほど見かけなくなったのが現状です。


 

上記のような固定遊具は遊び方によっては危険性が伴う遊具の一つではありますが、同時に子ども達の心をワクワク・ドキドキさせる魅力的な遊びに発展するものでもあります。

さて、当園でも「回るジャングルジム(回旋塔)」と呼ばれる固定遊具が存在します。



この固定遊具は、今の公園では中々見ることができない、いわゆる「レア遊具」の一つです。
当園でも危険性を伴う固定遊具なため、一時は撤去も考えましたが、あえて子ども達のために安全確認をしながら、保育者が見守る中で使用しています。

しかしながら、固定遊具での「遊び」は発展や広がりに限界があるため、「砂場遊び」や「鬼ごっこ」等の集団遊びのように、じっくりと長い時間を使って”遊び込む”ことができず、結果として一時的な遊びにしかなりません。

では、子どもの「遊び」にとって、固定遊具の果たす役割は何でしょうか…?

一つは、固定遊具は自分一人だけで遊べるもの多いのが特徴だと思います。
鬼ごっこ等の集団遊びは当然一人では遊びは成立せず、友達と一緒に遊ぶことで楽しい遊びの時間となります。
しかし、固定遊具は一人で遊ぶ時間を保障してくれます。

特に、幼稚園に入園したばかりの年少児にとっては、まだまだ友達と一緒に遊ぶことより、自分のやりたい遊びを見つけて繰り返し何度も遊ぶ…といった様子がほとんどなので、当園でも固定遊具の「シーソー」「滑り台」「回るジャングルジム(回旋塔)」等々がその役割を果たしています。

また、入園当初涙を見せ、不安定な日々を過ごしている子どもにとっても、固定遊具での遊びが気晴らしや気分転換のきっかけとなる場合もあります。

当園にある「回るジャングルジム(回旋塔)」は、固定遊具の中でも一度に沢山の子ども達が乗ることが可能なため、一緒に遊んでいる認識がなくても、同じ遊び(回旋塔に乗ってグルグル回してもらう)を共有することで、何となく友達と一緒に遊んだ気持ちになり、心地良さを感じることもできます。

以上のような理由からも、子どもの「心情面の成長」のために固定遊具が果たす役割は、沢山あることが言えます。
子どもの遊びの良質な環境として、ある程度の固定遊具も大切にしつつ、子ども自身の思考を巡らせた創造性溢れる豊かな遊びが自然と生まれるような、大人の”投げかけ”や”関わり”も大切にしていきたいものです。



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